ブリストル (City of Bristol)
人口46万人、隣接地域も併せると約72万人と推定される. これはイギリス全体で8番目に人口が多く、サウス・ウェスト・イングランドで最も人口の多い都市である. サマセットとグロスタシャーのカウンティに接し、南東には歴史的な都市バースがあり、北にはグロスターが位置する. エイボン川に沿って形成されており、それが流入するブリストル海峡にも接している.
紀元40年ごろ、現在のブリストルの西側に古代ローマ人が築いたアボナという港がブリストルの基礎となった. アボナは温泉地バースとの物資取引に使用されていた. 5世紀以降のアングロ・サクソン時代にブリストルは都市として形成されていった. もともとはエイボン川の河口から最も近い架橋可能な位置だったことから、「橋のある場所」を意味するブリグストウ(古英語: Brycgstow)と呼ばれていた.
10世紀にブリストルは商業港として栄え、11世紀初頭にはアイルランドとの羊毛貿易の中心地となった. 11世紀後半のノルマンコンクエストの時代には、グロスター伯ロバートによってが築かれている.
13世紀には交易量の増大によって船舶の停泊に不足を来すようになったため、1240年代にフロム川の合流点の付け替えを含む当時国内で類を見ない大規模な港湾拡張工事が行われた. 工事によって港の容量は2倍に増加し、ブリストルの発展の基盤となった.
13世紀から18世紀の後半に産業革命でリヴァプール、バーミンガム、マンチェスターの急成長が始まるまで、ロンドンに次ぐ都市、ヨーク、ノリッジと並ぶトップ3の都市であった. ブリストルは1155年にロイヤル憲章を送られ、1373年に典礼カウンティに格上げされた.
14世紀には造船業や毛織物工業が盛んになり、ヨーロッパや近東に輸出された. 1497年、イングランド王ヘンリー7世の命でイタリアの航海者カボット親子がブリストルの港から新大陸探検に出発した.
1600年代後半、ブリストル出身のエドワード・コルストンは王立アフリカ会社に参加、アフリカの奴隷貿易で大きな財を成し、教会や救貧院、学校などに寄付をした. このことから市内の通りや建物の多くに彼の名前がつけられ、1800年代には市内の中心地に銅像が建立された. しかし、次第に奴隷貿易への批判から銅像の設置に異議が出されるようになり、2020年、人種差別批判の高まりの中でコルストン像は引き倒され海へ投げ込まれた(詳細はエドワード・コルストンの像を参照のこと).
18世紀頃には毛織物貿易は衰退したが、西インド諸島との貿易、金属工業などの新産業、そして黒人奴隷などを扱った大西洋三角貿易の拠点の一つとして栄えた. 18世紀に頂点に宝飾にも用いられる品質のガラス(特に青色ガラス)を生産していた. 1700年には2万人だった人口は1801年には68,000人に拡大し、クリフトンなど郊外の宅地化が進んだ.
しかし、産業革命が進展する中で、工業都市マンチェスターと鉄道で連結されたリヴァプールとの競争に敗れたほか、19世紀初頭に奴隷貿易が禁止されたこともあり、19世紀初頭にはかつてのような繁栄は失われていった. 1809年に閘門を備えた新港シティ・ドッグが完成し、1841年にロンドンと結ぶグレート・ウェスタン鉄道が開通して以降は貿易の絶対量は回復した.
地図 - ブリストル (City of Bristol)
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国 - イギリス
イギリスの国旗 |
イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという歴史的経緯に基づく4つのカントリー(「国」)が、同君連合型の単一主権国家を形成している. また、2020年1月31日まで欧州連合(略称:EU)に属していたが離脱した (ブレグジットを参照). イギリスは国際連合安全保障理事会常任理事国であり、G7・G20に参加する先進国である. また、経済協力開発機構、北大西洋条約機構、欧州評議会の原加盟国である.
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